1985年9月のプロレス中継
1984年4月のUWF旗揚げにともなう前田日明、高田伸彦、藤原喜明、木戸修らの離脱、さらに8月21日の長州力率いる維新軍団11名の離脱。選手層激減の1985年の新日本プロレスは“冬の時代”と呼ばれた。
この時代の寒々しさは当時を知るファンの語りぐさの一つである。
が、これを見て欲しい。
ワールドプロレスリング 9月13日視聴率14.5%
全日本プロレス中継 9月14日視聴率7.0%
女子プロレス 9月16日?視聴率18.3%
週刊プロレス113号(1980年10月8日号) P.78から。視聴率のあとに(ビデオ)とあるので、おそらくビデオリサーチ社であろう。
全女がブームの頂点にあった時期で、高視聴率なのは分かる。
しかし、新日も14.5%と健闘しているのだ。翌週は猪木vs藤波であったので、さらに視聴率は高かったであろう。
たしかに「コンスタントに20%台をキープし、時には30台に手が届きそうな勢い」*1であった頃には落ちるものの、決して絶望的な数字ではない。
それに比べて全日は、土曜夕方5時半とはいえ、新日の半分である。
全日中継は10月19日に土曜夜7時に復帰して以降は「視聴率競争の面では、一応、肩を並べた格好」*2で「15%に届かな」*3かったという。
いずれにせよ、全日本プロレス対ジャパンプロレスでも、全日中継はワールドプロレスリングを圧倒できず、新日は観客動員数はふるわなかったかもしれないが、テレビコンテンツとしてはそれなりの人気を維持していたようである。